作るということに没頭する感覚とは
人は誰でも「クリエイティブ」な感覚を持っているものです。どのような人でも何かを「工夫」するもので、その「対象」が何なのかという違いだけで、実際頭の中の回転は同じようなものです。
「創る」ことができるのが人間です。「創る」、「作る」、「工夫する」ということが私たちの生きている文明のすべてを作り上げたと言っても過言ではないほどです。私たちは誰かが作ったものを利用することで、さらに新しいクリエイティビティを発揮することもできます。私たちが発揮するクリエイティビティは、なにも「芸術」だけに特化したものではありません。それは芸術だけではなく、仕事においても、「より効率的に物事を運ぶためには」という感覚で発揮されることもあります。「考える」ということ自体がすでに「クリエイティビティ」なのです。
私たちはただ生きているだけではありません。ただ食事をして、ただ眠って、ただ子孫を残すだけの生き物ではありません。私たちが本当にしたいこと、私たちが本当に行うべきことは、「自分が生きている間に何を残せるのか」ということ、そして生きている間に考えたこと、行ったことで「世の中にどのように貢献できるか」ということです。そのためにさまざまなことを学んできて、そのためにさまざまな経験を得てきたわけです。どのような分野で、どのようなカタチで、それが発揮されるのかはわかりません。人それぞれでもあります。ただ、私たちはただ生きるためだけに生まれてきたのではないということです。成長し、社会に貢献できるようになったら、何かを考えて「生み出す」ということが必要になってくるということです。
仕事にしても、芸術にしても、それに没頭している頭の中、その精神の動きは変わりません。集中すること、没頭することは、その時にその人の「思考」と「精神」がすべてその「取り組み」の方を向いているということになります。そのときには「効率」は最大限の状態になっていることが多く、集中しているが故に話しかけても、どのような変化が自分の周囲で起こったとしても、「気が付かない」ということも考えられます。そのような状態に没入することが「何かを行う」ことで大切なことなのです。
何かに集中すること、逆にいえば「集中できることを見つけること」が、その人の人生を豊かにする最善の選択です。何をして生きていこうか迷ってしまう時代です。なにをして暮らしていけばいいのか、迷ってしまう時代です。また、「選択の余地などない」という人もいるかもしれません。そのような中でも確実に「何かを生み出して残さなければいけない」のです。何かを生み出して残すことで、自分の暮らしと精神性が豊かになるのです。それを理解できるかどうかが鍵です。それを理解して、「自分は何をする人なのか」を見つけること、そのための「経験」として文化祭があるのかもしれません。「作る」ということが楽しいのか、全体を見て調整することが楽しいのか、見つかるかもしれません。