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自然と発生するリーダーシップとは

リーダーシップとは率先して何かを推進するチカラのことです。リーダーシップがあるということはある種の「適正」ともいえるべきことで、社会はそのような能力を求めているものです。

何かを行うとといことは、「推進力」が求められます。推進力とは「物事を牽引する力」ということです。物事を本当の意味で牽引することができる人物は、「ただひとに命令していればいい」というような考えではいけないものです。人を牽引するということは、人のことが見える人物であるということです。

リーダーシップを発揮するということはより深く「人のことを見る」ということです。人のことを「気にすることができる人物」こそが真のリーダーシップであり、社会を牽引する人ということです。

そのような人であれば、例えば指示を出された人も納得ができるというものです。「ワガママを言っているだけの人」に対しては誰も納得して話を聞くことなどできないものではないでしょうか。その人物の言っていることに納得感があるから、なにを言われても従えるのではないでしょうか。「やらされる」のではなく、本当にそれが「必要だと感じた」から、その意見が聞けるのではないでしょうか。「リーダーシップ」とは、「口のうまさ」ではないのです。「人に対してそれが必要だ」という気付きを与えることができる能力が必要なのです。「人の気が付かないところ」に気が回る、人より広い視野で物事を考えることができることが求められているのです。

そのようなことは「性格」の問題も大いに左右するのですが、何よりも「経験」も必要です。それは「仲間が一丸となってひとつのことに取り組むという経験」です。それぞれが自分の役割を持ち、協力して何かに取り組むという経験です。「協力する」、「協調する」ということは「言葉」だけではダメなのです。真似事だけではダメなのです。必要なのは「ひとりひとりが責任を持ち、それをまっとうする」ということなのです。その中で、誰かの至らない部分をサポートしたり、誰も気がつかないような細かいミスに気が付けたりできること、さらにはそれを「なんの嫌みもなく」人に伝えられることというのが大切なことなのです。

文化祭では、普段とは違った人の一面を感じることができます。ただ机を並べて勉強していただけでは気がつけなかったこと、いつもとは違う状態、自分たちで物事を推進しなければ何も進まない状態であることで、ひとりひとりが持つ「個性」、ひとりひとりが持つ「本当の適正」のようなものを垣間見ることができるのです。

何かを共同で作り上げることはとても大変なことです。同時に、とても素晴らしいことでもあり、社会での基本的なことでもあります。そのような環境が、人に対して新しい「可能性」、「隠れていた適正」を見つけてくれるのではないでしょうか。一言に文化祭と言っても、そのようにとても多くのことを示してくれるのです。

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