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文化祭を通じて学べることとは

自分では気がつけない文化祭で学べることは実に多岐に渡ります。文化祭での経験がその後の人生を左右するということも可能性としては大いにあるのでしょう。文化祭で経験することを一生の仕事にしようと考えることもあるでしょう。

それほどまでに「体験」というものは人の心に鮮烈な影響を与えるのだということです。人の心というものは「理屈」だけではないということです。理屈だけでは生きていくことなどはできないということです。「やりがい」、「満足感」、その他のさまざまなことが作用し、自分が生きていく道を見つけるものなのです。ですから、そのような満足感のある文化祭であることが何よりも大切です。

それは環境が成せることでもありますし、参加する生徒の心次第であるということもあります。ただダラダラと過ごしているだけではだめなのです。ただ同輩が楽しそうに過ごしているのを見ているだけではダメなのです。大切なことは参加することです。積極的に参加して、自分も楽しむことが大切なのです。そのような経験こそが人を育てることにつながると言っても過言ではないでしょう。自分では気がつけないかもしれませんが、自分が苦労したことはなかなか忘れないものなのです。自分が努力したこと、腐心したことというものはいつまでたって自分の身になっているということです。

将来にどのようなことに興味を持つのかはわかりません。もしかすると今学んでいることなど、いつかは忘れてしまうのかもしれません。それでも、文化祭での記憶は違います。文化祭での思い出は、必ずあなたに一生モノの思い出を残してくれることでしょう。そして一生の記憶に後押しされた「夢」は、あなたの目標実現を強固に後押しするものです。なにかに迷った時、自分の目標が達せられなくなりそうなときにも、文化祭での記憶があなたを応援するのです。

もちろん、社会に出れば「責任」という言葉がついて回ることでしょう。その責任に押しつぶされる感覚は、本来好きであったことをなぜか嫌いになってしまうほどのものでしょう。何事も仕事にすると「つまらない」だとか、「本当はこんなことをしたくなかった」というような事があるものです。それでも責任をまっとうするのが「社会人」というもので、社会人であれば「それを始めた理由」などもまったくわからなくなってしまっても、その「道」の好きなことだけできるわけではなかったとしても、「それ」を仕事として続ける責任があるのです。逃げることが許されない状態、逃げることは自分の生活を捨てることになるかもしれないということに気がつくことでしょう。すると、ますますそれがつまらないものとして認識されてしまうかもしれません。

ですが、文化祭での輝かしい記憶は、それによって引き起こされた気持ちは、そのようなネガティブな気持ちを忘れさせてくれたり、軽減させてくれたりするかもしれません。文化祭で学べることは額面よりも大きいものなのです。

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