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授業だけでは人は育たないということ

学校の「使命」として「人を育てること」が挙げられるのは間違いありません。ただ、それは「勉強ができたらいい」というような安直なものでもありません。大切なことは「人をつくる」、「人格をつくる」ということなのです。

「道徳」や「正義」というものを授業として教えてくれるのはせいぜい小学校までではないでしょうか。その先はある程度「人格」というものが固定されつつあり、「自分と他人」、「自分の立ち位置」のようなものを意識するのが通例です。それでもまだまだ「人として」は未熟である部分があるわけで、ただ、それを「どうやって伸ばすのか」ということはとても難しいものです。

中学、高校と、まだまだ「子ども」ではあるのですが、それでも自分の「尊厳」というものをしっかりと自覚した立派な「一個人」であることには変わりがありません。

そのような年頃だからこそ、文化祭のようなイベントで様々なことが学べるのではないでしょうか。人と協力してなにかを進めること、人と協調して何かを作るということ、それらの経験のすべてがその後の人格形成に大きな影響を与えることは間違いありません。「人として」これからどのように歩んでいくのか、「人として」何を大切だと感じて歩んでいくのか、そのようなことが学べる機会としての文化祭であるのではないでしょうか。

そのように大切なイベントであるからこそ、文化祭は盛大に行われるのです。大切だからこそ生徒ひとりひとりが大切な思い出にできるように、文化祭は盛大に行われるものなのです。だからこそ尊い、だからこそ、文化祭は素晴らしいイベントなのです。生徒が一生の記憶に残るような思い出を作ることができるように、そして自分たちのクリエイティビティを開花させることができるように、文化祭はとても可能性に溢れたものである必要があるのです。そうでなければ意味がないのです。それが文化祭の醍醐味です。「意味」なのです。

文化祭が生徒にとって大切な思い出になるのかどうかは、生徒自身の取り組み方もそれを左右します。生徒がその時間をかけがえのないものとして捉えることができるかどうか、それが大切です。生徒がそのイベントをどうでもいいと考えるのだとしたら、そのイベントはどうしても「それなり」の結果しか産まないことになるのです。社会に出るとわかるものなのですが、「誰かがお膳立てしてくれる」ようなことは何一つとしてないのです。学生の頃にはちょっと変わった言葉として捉えているかもしれませんが、社会に出ればすべてが「自主的」に行わなければならないことになります。何一つとして「考えなくてもいい」ことなどはなく、何一つとして「正解」というものがありません。

文化祭で「自分たちがやりたいこと」を行うということは、そのような「生きる力」を育てることでもあるのです。ですから、文化祭はただ楽しいだけではないということです。ただ楽しいイベントではなく、人間力を磨くための「機会」なのです。

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